街でお花をもった子や袴を着ている子を見かけると、これから新しい世界で頑張るんだなぁと昔の自分を思い出してほっこりします(*^_^*)
さて、今週もリビング新聞の漢方よもやま話の更新です(29/3/18号)

漢方は明治時代に一度廃れてしまったことをご存じでしょうか。
政府が西洋医学の医術開業試験を制定したため、漢方を学んでも医師になることができなくなりました。
そんな中、漢方を残すために動いた中心人物の一人が浅田宗伯です。
宗伯は幕末から明治の最高の漢方医といわれ、大正天皇の命を救ったことも宗伯の偉業の一つです。
明治12年、明宮嘉仁親王(後の大正天皇)は生誕直後に難病を患い、生命の危機に陥りました。
当時の西洋医学の最高峰の医師でもなすすべがありませんでした。
そこで呼ばれた宗伯は、現代では使われないほどの劇薬「巴豆(はず)」を使用し、治療の際の下着は白無垢(むく)、懐には短刀を納めていました。
「明治政府に漢方の力を見せれば、政府は漢方を認めてくれる」と宗伯は治療にあたったのです。
「もし成功しなければ自決する覚悟だった」と記録が残っています。
大正天皇は無事に一命を取り留めましたが、宗伯の思いも空しく漢方は衰退の一途をたどりました。
その後、ごくわずかな人々の間で継承されてきた漢方ですが、昭和になってエキス製剤の製造が始まり、現在も広がりを見せています。
しかし、先人が命懸けで守ろうとした伝統的な漢方薬の使い方をされていることが少ないのが現状です。
漢方薬の効果を十分に引き出す使い方を知るには、漢方が全盛期であった時代の医学書から学ぶことが大切なのです。
(北山 恵理)
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