2016年05月18日

奈良県大宇陀に行ってきました@

師匠の大学時代の先輩にお誘いいただき、5月15日(日)に師匠と一緒に奈良県にある大宇陀(おおうだ)に行ってきました(。・ω・)ノ゙

大宇陀のある宇陀市は、古代には「阿騎野(あきの)」と呼ばれ、宮廷の薬狩りの地とされた土地で「薬の町」と言われています。

611年(推古19年)、推古天皇が陰暦の5月5日に薬狩りを行ったと「日本書紀」に記録が残っており、天武天皇・持統天皇(天武天皇の皇后)の時代にも薬狩りが行われたと文献に残っているそうです。

薬狩りとは、強壮剤とされた若い鹿の角を取る狩りのこと。

男性は狩りを、女性は薬草を摘んでいたそうな。

推古天皇が薬狩りをした後、薬狩りは恒例行事となったらしく、その故事に由来して5月5日を「薬日(くすりび)」としたそうです。

一般的には「こどもの日」として親しまれている5月5日ですが、実は「薬の日」でもあるのです。

そして、室町時代から江戸時代にかけては、宇陀市のある地域は大和と伊賀・伊勢を結ぶ庶民のお伊勢参りのルートにあたり、宿場町として繁栄したそうです。

さて、そんな大宇陀に訪れた私たちが最初に行ったのは『薬の館』です。
(参考サイト:奈良県観光[公式サイト] あをによし なら旅ネット)

薬の館.JPG

「薬の町」である大宇陀ですが、その最盛期には50軒以上の薬問屋が軒を並べたほどだそうですΣ(゚д゚;)

その薬問屋の1つである旧細川家住宅を利用した歴史文化館が『薬の館』です。

江戸時代末期に建築されたとされる旧細川家住宅は、藤沢薬品工業(現アステラス製薬株式会社)の創設者である藤沢友吉さんのご実家であり、宇陀市の文化財の指定を受けています。

表に掲げられた手の込んだ造りの銅板藁唐破風附(どうばんぶきからはふつき)看板は、現在では製作が困難な貴重なもの。

天寿.jpg
↑銅板藁唐破風附看板

看板のお値段は家1軒が建っちゃう金額らしく、細川家がどれだけ繁栄していたか伺えますね。

ちなみに看板にかかれている「天寿丸(てんじゅがん)」と「人参五臓圓(にんじんごぞうえん)」は、1835年に発売された腹薬のことで、細川家の主力商品だったそうです。

中に入ると、これまた「人参五臓圓」の立派な看板がお出迎えしてくれます。

師匠もご満悦(笑)

師匠.JPG

そして「人参五臓圓」の銅板の左にあるのは、小さな引き出しがたくさんある薬味ダンス。

個人的にはこの歴史を感じさせる薬味ダンスがツボでした。

薬味ダンス.jpg

薬種(薬の材料)の貯蔵用の大きな壺も。

薬のかめ.jpg

これ、私が正座すると、座高より高さがありました!大きい!

どんな薬種をいれていたのでしょう。

そして、さすが薬問屋さん!

昔使われていた木製看板もたくさん展示してあります。

看板たち.jpg

現在も販売されている薬の看板は、やっぱり目をひきます。

「浅田飴」
浅田飴.jpg

「太田胃散」
太田胃散.jpg

「救命丸」
救命丸.jpg

うまく写真に撮れませんでしたが、館内には藤沢薬品の貴重な資料も展示されています。

余談ですが、藤沢薬品工業の他にもツムラやロート製薬などの創始者の方々も宇陀市出身だそうです。

(ガイドの方が他にも挙げられていたのですがメモしきれず・・・(;ω;))

さすが「薬の町」だなぁ、とガイドさんの話を聞きながら思ったものです。

生薬の展示も少し。

生薬.jpg

1番下の左に、漢方薬の原料である生薬の厚朴(こうぼく)の果実が!

厚朴.jpg

厚朴は、日本や中国などに自生しているホオノキの樹皮を乾燥させたもの。

その果実を見るのは初めてだったので、しばらく見とれてしまいました。

こちらは中庭。

日本列島.jpg

配置されている石ですが、何に見立てて配置されているかわかりますか?

実は日本列島なんです。

日本列島2.jpg

隠れてしまっていますが、印をつけている石が北海道。

本州、手前に四国と九州もきちんとあります。

土間部分には、古いカマドもそのまま残されていました。

カマド編集.jpg

本当に豪華なおうちでした。

と、満足したところで時間切れ。

『薬の館』は薬に興味がなくても、古い建物やレトロな看板やパッケージがお好きな方であれば楽しめるところだと思います。

興味があれば是非遊びに行ってみてください(^ー^* )

『薬の館』を見学して既におなかいっぱいになりつつあったのですが、実際におなかをいっぱいにするために次の食事処へ移動します。

長くなってしまったので、それはまた次回。。。(*'-'*)
posted by なつめ at 10:35| 日記